エッセイ ずっと独り身で死んだら、なんて思うだけ無駄だと思う話

      2018/07/05

一生独身で、だれもお墓に来ないなんて嫌、みたいな、いわゆるお一人様の恐怖だって考えるだけ無駄な気がする。
 

ずっと独り身で死んだら、なんて思うだけ無駄だと思う話




 
死んだらこうして欲しい、という願いはどの程度叶うのだろうか。
法的な、遺言的な意味で言っているのではなく、どちらかというと時代の移り変わりについて言っている。
というのも、わたしは一度、父方の家系のお墓に行ったことがあるけれど、それはお墓というか納骨堂のロッカーの中だった。
そこに代々の霊を祀っているとのことだった。
しかし祀られている側は、そんなことになると想像していたのかなと思ったのだ。

無機質な扉を開けると、突然仏教感満載の仏間が現れる。
お供え物をする空間もあり、ちゃんと仏間として機能しているのが逆に不思議な感じだった。
下の方から台をスライドさせて出すと、お線香をたいて乗せる。
そのひとつ一つの動作でたつ音が、空間に響いた。

その納骨堂にはとんでもないデブ猫が飼われていた。
明らかに飼い主の怠慢で太りまくってしまったという感じでかわいそうだぅたが、かわいいことに違いはなかった。
まるまるとアザラシみたいな体で、ごろごろと喉を鳴らしていた。

ご先祖様は、ロッカーのことも、デブ猫のことも、予想しようがなかったよなぁ…と思った。
 
 
死んだらこうして欲しい、と願うその時の頭では想像もできないようなことが起きるのが未来だ。

そう考えると、死んだ後のことにまでこだわるのは馬鹿馬鹿しいのかもしれない。
一生独身で、だれもお墓に来ないなんて嫌、みたいな、いわゆるお一人様の恐怖だって考えるだけ無駄な気がする。
そのころには結婚相手になってくれるアンドロイドとかいるかもしれないしね。




 - 主観のコラム